私は二十歳の時に脳内出血で倒れて左半身麻痺になりました。これは「オスラー病」という遺伝性の疾患が原因で、当時は精神的に大きく落ち込んだり、立ち直ってからは過酷なリハビリに挑んだり、社会復帰後は会社を退職して福祉の専門学校に入学したりと、なかなか波乱万丈な人生を歩んできたと思います。
その当時「左半身麻痺にはなったが、好きなものは食べられるしお酒も飲める!もし好きなものが食べられなくなるなら死んだ方がましや!」と言っていた覚えがあります。その後、みなさんもご存知の通り私はALSとなり、いまは口からの食事はほぼできない身体になってしまいました。
それでも私は今も元気に暮らしています!その理由は「倖大の成長を見守りたいから」というすごくシンプルなもの。そう考ると子どもが与えてくれる希望や生きる力って本当にすごいなぁと思います。そして同時に「やはり母は強し!」との思いが湧きあがります。
思えば私の母も「母は強し!」を地でいくような人でした。左半身麻痺になってからの車の運転や、会社を退職して専門学校への入学など、周囲が心配するようなことでも「やりたいと思うことはなんでもやったらえ!」と常に背中を押してくれました。
日々ベッドの上で過ごす毎日のなか、時には「もし私がALSでなかったらどんな人生を歩んでいたんだろう」と思いを巡らすこともありますが、できないことは考えても仕方がありません。「母は強し」の精神で、いまを一生懸命に生きていこうと思います。
2022.06.15 Rieko